現役の学校だと言われると、信じてしまうような綺麗な校舎が見えてきた。
廃墟マニアが見向きもしないような廃校へ、わざわざ足を運んだ理由はしっかりとあるのだ。
楊貴妃伝説が残る地
世界三大美人の一人である楊貴妃は、反乱により処刑され、その生涯を終えたとされるのが定説である。
しかし、ここ山口県の長門市には、楊貴妃が難を逃れ小舟で流れ着いたという伝説が残っているのだ。
楊貴妃の伝説については、長門市のホームページに詳しい記載がある。
日本で云えば奈良朝の昔、唐の国では天宝15年(756年)7月のことじゃったげな。向津具半島の岬の西側に唐渡口(とうどぐち)ちゅう所があってな、そこへ空艫舟(うつろぶね)が流れ着いたげな。 舟の中にはな、長い漂流でやつれておられたが、たいそう気品のおありなさる、それはそれは美しい女人が横たわっておられたそうな。
長門市ホームページより引用。
お側の侍女が申すに「このお方は唐の天子、玄宗皇帝(げんそうこうてい)の愛妃楊貴妃と申される。安禄山(あんろくざん)の反乱により処刑されるところを、皇帝のお嘆きを見るに忍びないで近衛隊長が密かにお命を助け、この舟で逃れさせ、ここまで流れ着きました。」と涙ながらに云うたそうな。
流れ着いた楊貴妃は程なくして亡くなり、楊貴妃の墓と伝えられる五輪塔が、現在も二尊院に残っている。何ともロマンあふれる伝説である。
周辺には、楊貴妃の里という中国風の庭園も存在する。廃校のついでに足を運ぶのも悪くないだろう。
早速校舎内を見ていくと、廊下には通せんぼをする謎のキノコが。これは一体何なんだ。
閉校は平成17年。壁には昭和59年撮影の航空写真が飾られている。体育館が解体されているところ以外は、現在と殆ど変わっていないようだ。
体育祭で使用していたパネルだ。
「天上天下唯我独尊」とは、要約すると「世界中の一人一人が皆尊い存在」という意味の言葉であり、決して「この世界で自分だけが尊い」といった意味ではない。
廃墟としての魅力は殆ど無い。探索は程々にして理科室へ向かう。
謎の液浸標本
お目当てのものはこれだ。
並べられた液浸標本の中に、どう見ても海豚にしか見えない標本がある。ラベルが貼られていないため、正体は分からないままであった。
謎の標本は、寄生虫や牛蛙が霞んでしまうほどの圧倒的な存在感を放っていた。
廃墟評価
廃墟退廃美 | C |
到達難易度 | C |
廃墟残留物 | B |
崩壊危険度 | C |
廃墟化年数 | C |
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