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久万小学校槙谷分校

冷涼な気候に恵まれ「四国の軽井沢」とも称される久万高原町くまこうげんちょう
山奥の秘境と呼ぶに相応しい限界集落に、立派な木造校舎が残っている。

幻の廃校は実在した!!槙谷分校の謎を追え!!

久万小学校槙谷分校

久万高原町は平成16年20048月1日、久万町、面河村おもごむら美川村みかわむら柳谷村やなだにむらの合併により誕生した。かの有名な探検家である藤岡弘ふじおかひろしの生まれ故郷だ。

今回は藤岡弘にちなんで、探検隊シリーズ風に廃校を紹介していこう。タイトルは「幻の廃校は実在した!!槙谷分校の謎を追え!!」である。

運動場

槙谷まきのたに分校は平成2年1990に閉校となった。閉校からは30年余りが経過し、かつての運動場は、すっかり草木に覆われてしまっている。夏場は校舎に近づくだけでも苦労しそうだ。

ふと見ると、ズボンがくっつき虫だらけになっている。「大丈夫か!!キャメラマン!!」と、何処からともなく声がする。

ポスト

ポストにメッセージが残されている。俗界に降りたまま帰ってくることは無かったようだ。

人が消えた!!限界集落の惨状を見た!!

総面積の90%を森林地帯が占める久万高原町は、林業が盛んな町であった。しかし、安価な外材の流入により木材の価格は下落し、林業は急速に衰退していく。

槙谷のような限界集落は、その影響を直に受け、人々が離れていく要因のひとつとなった。
槙谷分校の閉校という結果は、もはや逃れられない運命だったのだ。

教室

目立った雨漏りは見当たらないが、床板がかなり傷んでいる。

「廃校を侮るな!!死ぬぞ!!」とまた声が聞こえてくる。

職員室

突き刺すような寒さの真冬の早朝。藤岡弘が淹れる温かい珈琲が飲みたくなってきた。

学校表札

当時使用されていた立派な表札が埃をかぶっている。

壁に掛けられた地図は、ロシアがソビエトと呼ばれていた時代のものだ。

2階も比較的綺麗な状態に保たれている。清掃を行えばすぐにでも再利用出来るのではないか。

久万公會堂

校舎の向かいに建つ、美しい久万公會堂。ゆっくりと眺めていたいところだが、次の目的地が待っている。
「ありがとう…ありがとう」と合掌し、素晴らしい廃墟たちに別れを告げる。

廃墟評価

廃墟退廃美B
到達難易度A
廃墟残留物C
崩壊危険度C
廃墟化年数B

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