島の大部分が石灰岩で形成されているこの島は、永らく無人島であった。明治に入り石灰石の採掘が本格化すると、続々と大手企業の鉱業所が立ち並び、島は大いに賑わいを見せる。
しかし、石灰石の採掘量が次第に減少すると鉱業所は次々と閉鎖へ追い込まれ、島は本来の静けさを取り戻した。その後、かつての採掘場跡地から真水が湧き出し、島には大きな池が出来た。
過疎化が進む島
島に上陸してすぐに廃医院が見える。周辺には空き家が目立つ。現在の島の人口は約20人程であり、鉱業所の閉鎖後は蜜柑の栽培などで生計を立てている。
過疎化が進んだ島で廃医院を管理する余裕がある筈もなく、庭には草木が生い茂り荒廃が進んでいる。
中へ入ってみると、薄い板を合わせた簡易的な受付がある。建物は傾き、倒壊寸前である。
柱に掛けられた札には「初診ノ方ハ姓名ヲ受附ニ御知セ下サイ」と書かれている。
平仮名が文章に用いられるようになったのは最近のことで、戦前までは片仮名を用いた文章が一般的であった。つまり、この札の注意書きは戦前に書かれたものである可能性が高い。
受付の裏側は非常に狭く散らかっている。撮影も一苦労だ。
古い廃医院でよく目にする「シンメルブッシュ式」と呼ばれる煮沸消毒器が残っている。手術器具などを消毒するための機器だ。
レントゲン室の表札が掛かった小部屋は半壊している。
綺麗に整理されているが、嘴管瓶などの器具が残っている。
大きなレントゲン機器のようなものが残っている。重みで床が抜けてしまわないか心配だ。
醫療嚢
2階へ上がると「醫療嚢」と書かれた布製の袋が掛けられていた。醫療嚢とは、ガーゼや包帯などの衛生材料を携帯するための袋で、現在で言う救急キットのようなものである。他の廃医院では、目にしたことの無い貴重なものだ。
倒壊のカウントダウンが、刻一刻と迫る廃医院。貴重な醫療嚢の姿を目に焼き付け、後ろ髪を引かれる思いで島を後にした。
廃墟評価
廃墟退廃美 | B |
到達難易度 | A |
廃墟残留物 | S |
崩壊危険度 | S |
廃墟化年数 | A |
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