阿蘇五岳の一つ、根子岳の東部に広がる高原地帯に、嘗て波野村という村が存在した。
平成2年、オウム真理教※1は「日本シャンバラ化計画」の一環として村の土地を取得し、武装化拠点の確保を秘密裏に企てていた。
多い時期には、人口約2000人の波野村に400~500人もの信者が押し寄せ、村は得体の知れない恐怖に包まれた。
教団との対立

村では撤退を求める反対運動が起こり、教団と激しく対立が続いた。
平成6年、教団が取得した土地を村が9億2000万円で買い戻し和解が成立。教団は撤退し、漸く波野村は平静を取り戻した。

平成17年、波野村は一の宮町、阿蘇町と新設合併し、阿蘇市が発足。波野村は廃止となった。
今回足を運んだ遊雀小学校は、旧波野村の西部に位置する。

創立は明治6年。平成11年に閉校し、126年の歴史に幕を下ろした。
体育館は地区の方々が利用し、校庭は緊急時のヘリポートとして活用されている。

たんまりと濁水が溜まったプール。大量のオタマジャクシが元気に泳いでいる。

標高が高いおかげで、夏の日差しもそこまで苦ではない。
時折心地良い風が吹き、時間の許す限り滞在したくなる。
雀が遊ぶ廃校

校舎の両端に下駄箱がある。児童数は思いの外、多かったようだ。

過去の喧騒を感じさせない温かい雰囲気の校舎。
廃墟としての美しさはあまり無いが、足を運んでみて正解であった。

児童が描いた野鳥の絵。特徴をよく捉えている。

雀が遊ぶと書いて遊雀。その名の通り、周辺では多くの野鳥が観察出来るようだ。

残留物は非常に少ない。

鶏の表情が非常にシュールだ。

校舎は比較的綺麗な状態である。何かしら再活用の道があれば良いのだが。

職員室も見事に蛻の殻だ。

と思いきや、何故か桧の浴槽が置かれている。希望小売価格は約48万円。
高いのか安いのか、私にはよく分からない。

長く続く廊下は、雑巾掛けが大変そうだ。

図書室の児童書がそのままになっている。

唯一、机と椅子が残っていた教室。他の残留物は何処へいったのだろうか。

野鳥に関連する残留物が目に付く。少し進むと、野鳥の亡骸が横たわっていた。

連結し、百足のようになったスリッパ。

最後の卒業式から約30年。物置と化した家庭科室に「卒業」と書かれた横断幕が残っている。
不思議と、物足りなさを全く感じない充実した一日であった。旅の最後は、阿蘇の雄大な景色を楽しみながら帰ることとしよう。
廃墟評価
廃墟退廃美 | B |
到達難易度 | C |
廃墟残留物 | C |
崩壊危険度 | C |
廃墟化年数 | B |
廃墟評価の詳細はこちら。
脚注
※1^ 地下鉄サリン事件など、数々の凶悪事件を引き起こした新興宗教団体。