平成23年3月11日14時46分。宮城県沖を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生し、大津波に襲われた岩手県、宮城県、福島県は甚大な被害を受けた。
同時に発生した福島第一原子力発電所事故は、小さな町の運命を大きく変えた。
全町民避難
津波による浸水で非常用の電源までもが失われ、福島第一原発は核燃料の冷却が不可能となった。メルトダウンによって発生した水素が原子炉建屋の爆発を引き起こし、大気中へ大量の放射性物質が飛散した。
震度6強の揺れを記録した富岡町も、津波で沿岸部が被害を受けた。原発から20km圏内に位置する富岡町は町全体が警戒区域となり、全町民が避難を余儀無くされた。
十字マークが印象的なこの廃医院は、直接の津波被害は免れたものの、避難によって診療再開の目処が立たず閉院となったという。
その後政府は、警戒区域を避難指示の早期解除を目指す「避難指示解除準備区域」と、除染を進め住人の帰還と社会の再建を目指す「居住制限区域」と、年間積算線量が50mSvを超えており、将来に亘って居住を制限する「帰還困難区域」に再編した。
避難指示から6年後の平成29年。帰還困難区域を除いた富岡町の避難指示が解除された。現在は残る帰還困難区域の解除を目標に、除染が進められている。
除染は完了しているが、管理されていない廃墟はどうだろうか。線量が高い箇所がありそうで不安だ。
かつてのレントゲン撮影はフィルムを用いたアナログで、撮影や現像に非常に手間が掛かっていた。
準備室の文字が欠けている。扉は開かなかった。
タイル張りになった部屋の天井に、無影灯を取り付けていた跡らしきものがある。ここは手術室だったのだろう。
残留物が少なく、廃医院の名称すら分からない。手掛かりを求めて2階へ。
いろは順に病室が並んでいる。2階にも手掛かりになるような物は残っていなかった。
広々とした病室。患者同士の距離が近くならないよう配慮されている。
名称や診療科目が分からないまま、廃医院は解体されてしまった。
廃医院の外観を撮影していると、富岡町の復興関連の仕事をしている方と立ち話になり、是非とも「とみおかアーカイブ・ミュージアム」へ足を運んで欲しいと言われた。
とみおかアーカイブ・ミュージアム
とみおかアーカイブ・ミュージアムは、富岡町が運営する博物館である。
入場は無料で、富岡町の歴史や津波の被害に関する展示を行っている。
館内で一際目立つひしゃげた車両。これは地震発生時に警察官が乗っていたパトカーである。
警察官2名は津波が迫り来る中、最後まで町民の避難誘導にあたり帰らぬ人となった。
トランクの蓋に書かれた「福島県警察」の文字が無ければ、パトカーであるとは気付かない。
ニュースの報道だけでは、津波の恐ろしさは実感出来ない。自身の目で見ることは非常に大事だ。私はパトカーに深く一礼し、手を合わせた。
この横断幕は一時帰宅の際に、町民の手によって掲げられたものである。無人となった富岡町から、町民を鼓舞し勇気を与え続けた。
避難指示が解除された後、戻ってきた町民はごく僅かだ。更地が目立つ富岡町は、以前の様相には程遠い。「富岡は負けん!」を合言葉に、被災地の復興が進むことを心から願っている。
廃墟評価
廃墟退廃美 | B |
到達難易度 | C |
廃墟残留物 | C |
崩壊危険度 | B |
廃墟化年数 | C |
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