スパガーデン湯~とぴあは、青森県大鰐町に位置する廃リゾート施設である。
温泉とスキーの町として発展を遂げてきた大鰐町。開湯800年の歴史を誇る大鰐温泉は「津軽の奥座敷」と称され、古くから親しまれてきた。
町に残る負の遺産
昭和62年、観光産業の振興と地域経済の活性化を目的とする「総合保養地域整備法」通称「リゾート法」が施行され、日本全国で盛んに開発事業が行われた。
リゾート法の施行を機に、大鰐町も開発業者などと第三セクターを設立し、大規模な開発事業を進めた。そして昭和64年、巨大リゾート施設「スパガーデン湯~とぴあ」が満を持してオープンし、多くの利用客が大鰐町に押し寄せた。この時点では、誰もが大鰐町の開発事業は成功を収めたと思っていた。
しかし突如訪れたバブル崩壊によって、湯~とぴあの客足は急激に遠のいていく。そして7年後の平成8年、設備の修繕を名目に一時休業となり、その後営業が再開されることは無かった。
湯~とぴあの閉業後、大鰐町は100億円もの莫大な借金を肩代わりすることとなる。平成21年には財政破綻寸前の「早期健全化団体」に指定され、大鰐町はいつしか「借金の町」と呼ばれるようになっていた。
その後の財政状況の改善により大鰐町の健全化は完了したが、現在も莫大な借金は残ったままである。
そんな小さな町に残る巨大な廃墟が、今回の舞台という訳だ。早速見応えのある施設を見て行こう。
これはサーフプールと呼ばれるもので、人工的に波を作り出すプールである。長い年月を経て、波打ち際には植物が生えてしまっている。
ランディングハウス
サーフプールを抜け、ランディングハウスと呼ばれる建物へ。
売店前は除雪ドーザの置き場と化している。一体何処からこれを入れたのか謎である。
かつて学校のプールなどで見かけていた洗眼器。上向きに付けられた蛇口で洗眼を行うものだ。
水道水での洗眼が角膜に悪影響を与えることが明らかとなり、プールから姿を消した。
ランディングハウスの中には、丸々ウォータースライダーが入っている。
プールに溜まった水がとんでもない色になっている。大金を積まれても入りたくないレベルだ。
ウォータースライダーに目立った亀裂は無く、しっかりと清掃を行えば使用出来るかもしれない。
まるで夜の水田のように、蛙の声が忙しく響いている。
外へ繋がるウォータースライダーから、下のプールへ雨水が供給されているようだ。
連絡通路を通り上へと進んで行く。両面ガラス張りで子供はワクワクするだろう。
スプラッシュキャニオン
スプラッシュキャニオンのスタート地点に辿り着いた。ここからゴムボートに乗って、先程のランディングハウスまで滑っていく流れだ。
首や手首を切らないように、割れたガラスを慎重に潜り先へと進む。
ここを抜ければ、待ちに待った屋内プールが見えてくる。長い道程であった。
屋内プール
屋内プールへ漸く辿り着いた。たまらず階段を駆け上がる。
大迫力の光景に言葉が出ない。全面ガラス張りのドームから見える青空が眩しい。
ガラス片が散乱し、ドーム内は足の踏み場も無い。黒くなっているガラス片は落下してから時間が経過しているもので、透明なガラス片は落下してから間もないものだ。
頭上を見上げると、氷柱のように垂れ下がったガラス片が目に入る。いつ落下してくるか気が気でない。
並べられた日焼けマシン。センスの無い落書きは勘弁して欲しい。
バブルは改めてすごい時代であったと感じさせられる。
まだ落下して間もない透明度だ。この厚さのガラス片が頭に当たれば、最悪死に至る。
それにしても巨大なプールだ。かつての賑わいが目に浮かぶ。
木々がすくすく成長している。いずれは森のようになるのだろうか。
誰もいなくなったプールを監視し続けている。
水没して長靴が無ければ進めないエリアがあり、全ての施設を見て回ることは出来なかった。
令和元年、大鰐町が湯~とぴあの解体を検討しているというニュースが流れた※1。その後の続報は耳に入っていないが、町民から解体を望む声が多いことは容易に想像が付く。
忌まわしき負の遺産が町に残り続ける限り、大鰐町の悪夢が覚めることは無いのだ。
廃墟評価
廃墟退廃美 | S |
到達難易度 | C |
廃墟残留物 | B |
崩壊危険度 | A |
廃墟化年数 | B |
廃墟評価の詳細はこちら。
脚注
※1^ 【大鰐町が「湯~とぴあ」解体撤去検討 | 陸奥新報】
“大鰐町は22日、バブル期の開発失敗により廃業し、建物が放置されたままとなっているリゾート施設・旧「スパガーデン湯~とぴあ」について、老朽化が進む施設内にあるドームの解体撤去を検討していることを明らかにした”
https://mutsushimpo.com/news/zsqjdr1v/