熊谷小学校桧尾冬季分校は、兵庫県新温泉町に位置する廃校である。
明治34年開校。過疎化が進み、昭和43年に閉校となった。閉校後の校舎は、集落の公会堂として使用されていた。
桧尾集落

山間に荒廃した田畑や、廃屋が点在する桧尾集落。嘗ては林業や養蚕が盛んで、最盛期の明治22年には、16世帯計110人もの住人が生活していた。
その後、昭和50年代の集団移転によって、大半の住人は別の地区に移り住んだ。平成27年、最後の住人が亡くなり、桧尾集落は消滅集落※1と化した。

スマホは圏外で、私以外の人間は勿論居ない。時が止まった集落に、小鳥の囀りが高らかに響く。
現在も「桧尾」という地区名は廃止されておらず、警察官による定期的な巡回が行われている。

冬季分校とは、積雪により本校へ通学することが困難な児童のために、冬季に開設される分校のことである。
豪雪地帯は廃墟の寿命が短いため、現存する冬季分校の校舎は貴重である。

用途不明の広い教室。校舎内は、外観ほど傷んでいないようにも見える。

古いタイプの消火器がある。破裂の恐れがあるため、手を触れてはいけない。

四角い小さなスピーカー。集落の放送が流れていたのだろうか。

一部屋根が崩落している箇所がある。
コンロや竈が残っていることから、泊まり込みの教員用の炊事場であったと考えられる。

宿直室の扉を開けると、そこには息を呑む美しい光景が広がっていた。畳が腐り落ち、床下から青々とした木が生えている。
人間の手が加わることなく、自然に身を任せ朽ちていく。私の求める廃墟の美しさが、今正しく目の前にある。

校歌ではなく「温泉町歌」と書かれた張り紙。町歌というものを、私は初めて耳にした。
平成17年、合併によって新温泉町が発足した。合併前の温泉町と浜坂町は、新町名を巡り激しく対立した過去がある。

階段を上って2階へ。意外にも床はしっかりしていて、踏み抜きの心配は無用である。

黒板に落書き代わりの蔦が這う。

奥には、もう一つ小さな教室がある。落書き一つ無い黒板から、訪問者の質の良さが窺える。
豪雪に閉ざされた真冬の校舎で行われていた授業。児童たちは、どのような学校生活を送りながら、春の訪れを待っていたのだろうか。
廃墟評価
| 廃墟退廃美 | A |
| 到達難易度 | B |
| 廃墟残留物 | C |
| 崩壊危険度 | A |
| 廃墟化年数 | A |
廃墟評価の詳細はこちら。
脚注
※1^ 住民の転居や逝去により、人口が0人になった集落。