友ヶ島は、紀淡海峡に浮かぶ無人島群「地ノ島」「神島」「沖ノ島」「虎島」4島の総称である。
沖ノ島と虎島には、明治時代に築かれた砲台が良好な状態で残っており、誰でも見学することが出来る。
自然に還りつつある砲台の姿は、映画「天空の城ラピュタ」の世界観を感じられる場所として、多くの観光客に人気である。最近では、友ヶ島を舞台にした漫画「サマータイムレンダ」の影響も大きい。
友ヶ島と由良要塞
現在友ヶ島へのアクセスは、加太港発のフェリーのみとなっている。チケットは8時30分販売開始の往復2200円である。
予約は基本的に受け付けておらず、先着順となっているため、土日は早めに並んでおかなければ次の便まで2時間待つ羽目になる。
加太港から友ヶ島の玄関口である野奈浦桟橋までは約20分ほど。
フェリーの本数は非常に少ない。島内をしっかり見て回ると3時間以上かかる。時間配分は計画的に。
実際に配備されていた砲台の弾丸が展示されている。
この砲弾は、友ヶ島「第三・第四砲台」に配備されていた大砲(8インチ砲)の弾丸です。大砲は昭和20年8月終戦後破壊されましたが明治後期に造られたレンガ造りの要塞建築物は現在も島内6ヶ所に健在で明治時代の昔日の面影を残しています。
何故友ヶ島には砲台が数多く残っているのだろうか。
その理由は、かつて友ヶ島には、大阪湾防衛の目的で築かれた由良要塞の一部が置かれ、友ヶ島地区として主力を担っていたからである。
由良要塞とは淡路島の由良、友ヶ島、加太に築かれた砲台群の総称である。
第二次世界大戦終戦までは友ヶ島への一般人の立ち入りは禁止されており、地形図の友ヶ島の部分は塗り潰され、大久野島同様「地図から消された島」であった。
観光客に人気の第3砲台は後回しにして、島内を反時計回りに歩いていく。
それにしても良い天気だ。天気予報を気にしながら訪れた甲斐があった。
海沿いを歩いていくと廃旅館が見えてくる。以前は数軒の旅館が営業していたようである。
まだ使用出来そうな水上バイクと船が放置されている。
一般兵舎は立入禁止になっている。然程危険なようには見えないが、観光客が多いため目立つ行動は控えておこう。
第5砲台
反時計回りに歩いていくと最初に到着する第5砲台。観光客は疎らだ。
階段を上った先が砲座だ。当時は12cm速射カノン砲が6門設置され、第5砲台は第1、第3、第4砲台の死角となる北側の防衛を担っていた。
扉は固く閉ざされている。内部は後々、第3砲台で好きなだけ見学出来るはずだ。
第5砲台を後にして、第2砲台へ向かう。潮風がとても気持ちいい。
暫く海沿いを歩いていると、またもや廃旅館が現れた。桟橋近くの廃旅館が本館なのだろうか。
海の家のような感じだろうか。
第2砲台
少し歩くと直ぐに第2砲台が見えてきた。
この第2砲台は、終戦後に使用を禁止する意図で爆破されたため、他の砲台に比べるとかなり傷んでいる。勿論、立入禁止である。
第2砲台は、由良地区の砲台群と敵艦を挟み撃ちにする目的で海岸沿いに築かれた。そして島内唯一、海を背景に砲台の写真を撮ることが出来る場所でもある。
第1砲台
第1砲台へ続く道も何故か封鎖されている。見学は出来ないようだ。
第1砲台の横を上がっていくと、友ヶ島灯台と洋風の建物が見えてくる。近くに灯台と建物に関する案内板があった。
この灯台は、明治3年4月、リチャード・ヘンリー・ブラントン(英国人)により着工、明治5年6月25日竣工点灯しました。
その後、灯台建設地一帯が軍の要塞地帯となり、砲台築造のため明治23年8月東側に移設したもので、紀淡海峡を航行する船舶の「みちしるべ」として大切な役割を果たしています。
この石造りの建物は、明治の洋風建築として日本では数少ないものの一つであり、昭和55年3月に改築しましたが、ほぼ原形通りに保存されています。
第1砲台の砲撃の邪魔になるため、現在地に移設したという。
ちなみに、灯台の光の強さを表す単位を「カンデラ」といい、友ヶ島灯台の明るさは、240,000カンデラ。1カンデラは蝋燭約1本分の明るさである。
第1砲台観測所
灯台の奥の分かりづらい道を進んでいくと、装甲掩蓋と呼ばれる屋根付きの観測所が残っている。観光客は殆ど知らないであろう穴場だ。
装甲掩蓋が完全な形で残っている観測所は非常に貴重なものであり、国内で現存し見学出来るものは、和歌山県「友ヶ島第1砲台観測所」と長崎県「丸出山観測所」の2か所のみとなっている。
内部にも入ることが出来る。現在は木々に遮られ何も見えないが、当時は紀淡海峡が見渡せたに違いない。
聴音所
聴音所とは、海を航行する敵艦のスクリュー音を傍受するための施設である。この聴音所は、正式名称を「紀伊防備隊友ヶ島衛所」といい、大阪湾を24時間体制で警戒に当たっていた。
聴音所の遺構も、国内には3か所ほどしか残っていない貴重なものだ。
第3砲台
ようやく友ヶ島のメインとなる第3砲台へ到着。流石に観光客がこの辺りはかなり多い。
地下の通路を進んでいく。普段廃墟慣れしていない人間には、恐怖感があるかもしれない。
明かりが灯され幻想的な雰囲気だ。
地下通路を抜けると砲座が現れる。
島内では最大規模を誇る砲台であり、360°砲撃が可能な28cm榴弾砲が8門設置されていた。
友ヶ島で最も有名な場所である第3砲台弾薬支庫前。一度は写真を見たことがある人も多いはずだ。
第3砲台のトンネルを抜けた先には将校宿舎が残っている。
本島要塞の駐とん将兵が生活した宿舎が今も島内各所に一部残っていますが、この建物も将校宿舎でした。建物内部は純日本式間取りとなっており当時の将校達の憩いの場でありました。
外から覗いてみる。確かに日本式の間取りだ。
将校宿舎を後にして探照灯へ向かう途中、大木が根本から倒れていた。これはラピュタ感がある。
探照灯
探照灯とは、現在でいうサーチライトのことである。この場所から敵艦を照らし、各砲台が標準を合わせるのだろう。
辺りには瓦が散乱している。上部に瓦屋根の建物が存在していたということだろうか。全く想像がつかない。
第4砲台へ向かう途中、大きな穴を発見した。人工的に掘ったものに見えるが、案内板が無いため分からない。
第4砲台
最後の目的地である第4砲台へ。見学コースから外れているため、訪れる観光客は殆ど居ない。
乗る予定のフェリーの時刻が迫っているうえに、体力がそろそろ限界を迎えそうだ。
第3砲台と同じ時期に築かれた第4砲台は、雰囲気がかなり似ている。地下通路も同じようにあり、砲座まで行くことが出来る。
観光客が居ない分、第4砲台の方が居心地がいいかもしれない。
砲座には土嚢が積まれ雰囲気が台無しだが、ようやく予定していた全ての目的地を見て回ることが出来た。歩き疲れて足が棒のようだ。
唯一心残りがあるとすれば、許可証が必要な虎島に行くことが出来なかったこと。虎島堡塁もいつかこの目で見てみたいものである。
廃墟評価
廃墟退廃美 | S |
到達難易度 | B |
廃墟残留物 | S |
崩壊危険度 | B |
廃墟化年数 | S |
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