戦後開拓記念館は、北海道足寄町に位置する廃資料館である。
閉校となった茂喜登牛小学校の校舎を再利用し、戦後の北海道開拓に関する展示を行っていた。
茂喜登牛小学校
茂喜登牛小学校の創立は昭和22年。統合のため昭和45年に閉校となった。
茂喜登牛の「キトウシ」は「行者大蒜が群生する所」を意味するアイヌ語「kito-us-i」が語源であり、関連があるのかもしれない。
足を踏み入れると、内部の光景に度肝を抜かれた。床が腐り落ちて殆ど残っていない。
おまけに天気は土砂降りである。屋根が抜けているため屋内にも拘らず傘を差し、足元にも注意を払わなければならない。
トイレのゴミ箱だろうか。「御手洗」と書かれた缶が残っている。
どの教室も床の状態が酷い。床板は錆びた釘が剥き出しの状態になっており、注意が必要だ。
ワクチンを打っていない場合、刺されば破傷風に感染する可能性が高い。
床が完全に抜けている場合は、釘や瓦礫に注意しながら歩くことが出来る。
この廊下のように、腐った床板が残っているパターンは非常に厄介だ。体重を掛けると床が抜け、足首周りが傷だらけになる。運が悪ければ踏み抜いた衝撃で釘が靴を貫通し、足裏に刺さるかもしれない。
この教室に至っては、床が抜け敷居が宙に浮いている。こんな光景は目にしたことが無い。
肝心の展示物が見当たらない。何処かに残っていないものか。
豪雪地帯の廃墟は、朽ちていく速度が尋常ではない。完全に倒壊する日も近いだろう。
唯一、展示物が残っていた教室。中には貴重な物もあるはずだ。雨曝しは勿体無い。
戦後開拓記念館は別名「軍服の廃校」とも呼ばれているが、厳密に言うとこれは軍服ではない。瓦礫に埋もれていると思っていたが、何とか滑り込みで間に合った。
しかし、ここからが大変だ。苦労して歩いてきたルートを、もう一度引き返さなければならない。壁をすり抜けられたらどんなに楽だろうか。
廃墟評価
廃墟退廃美 | A |
到達難易度 | C |
廃墟残留物 | B |
崩壊危険度 | S |
廃墟化年数 | B |
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