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羽幌炭砿アパート

羽幌炭砿はぼろたんこう築別ちくべつ炭砿、羽幌本坑、上羽幌坑の3鉱区の総称である。

羽幌炭砿の鉱区で最初に開坑した築別炭砿は、羽幌炭砿全体の出炭量の6割を占める主力であった。現在も築別炭砿周辺には、廃病院「羽幌炭砿鉄道病院」を始め、関連する廃墟が数多く残っている。

4棟の炭砿アパート

上空から見てみると背の高い木々に囲まれ、辺りは鬱蒼うっそうとしている。

昭和44年1969に完成した炭砿アパートは当時は珍しい水洗トイレを全戸ぜんこ完備し、家賃や水道光熱費は全て会社が負担するという破格の待遇であった。しかし、1年後の昭和45年1970、経営悪化に伴い羽幌炭砿は突如閉山。炭砿アパートは、新築同然のまま放置されることとなった。

炭砿アパートまでは、車を降りて歩いて行く。所要時間は3分にも満たないが、ここはひぐまの生息地。実際に羆の目撃情報もあるため、熊鈴を身に着け催涙スプレー片手に進んでいく。

私が住んでいる九州では熊は絶滅したとされており、関りが全く無い私は異常に熊を恐れている。

階段

急ぎ足で炭砿アパート内へ。羆に襲われる可能性は無くなり、これで一先ひとまず安心だ。

炭砿アパートの造りは、現代のアパートと殆ど変わらない。

どの部屋も片付けられており、もぬけの殻である。

ベランダ

ベランダの外には見渡す限りの森が広がっている。羆の姿が視界に入ろうものならば、ここから出られなくなる。

廃アパートから廃アパートを眺める。なんて贅沢な時間だろうか。

生活感が漂う部屋

ミシン

順番に部屋を見て回っていると、1部屋だけ生活感が漂う部屋があった。

昭和を感じさせる足踏みミシンが残っている。当時、ミシンは高価なものであった。

スキー板

羽幌炭砿は採炭のかたわらで、実業団活動にも力を入れていた。

野球部、バレー部、スキー部は指折りの実力を誇り、特にスキー部には多くの有名選手が所属し「羽幌飛行隊」として、その名を全国にとどろかせていた。

新聞

閉山から20年後の、平成2年1990の新聞が残っている。閉山後に、何者かが置いていったということになる。

現在、北海道各地で羆が出没し、問題となっている。その要因の一つが「春グマ駆除」の廃止だとも言われている。春グマ駆除は、冬眠中または冬眠明けの羆を狙って駆除し、個体数を管理するものであったが、個体数減少の懸念から廃止となる。

しかし、深刻化する羆の被害を重く受け止めた北海道は、令和5年2023から4年間限定で春グマ駆除の再開を決定した。

4棟全ての階段を上り下りするのは骨が折れる。

落書き

落書きが酷い部屋。羆は夜間や早朝に活動的になる。訪れたAM3:00という時間が本当ならば、彼らの勇気に脱帽せざるを得ない。

北海道の地図だと分かってしまう自分が悔しい。矢印は、羽幌炭砿の場所を的確に指している。

炭砿アパートを一通り見終え、車へ戻る。羆への恐怖から、帰路にく足取りは非常に重い。たった数分の道程みちのりも、気が遠くなるような時間に感じるだろう。

羆は、素早く動くものを本能的に追う習性があるという。どんなに恐ろしくとも、周囲を警戒しながらゆっくりと歩みを進める他無いのだ。

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